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Cool-B 2012年11月号 『刻印のジェロジーア』


商談を終え外に出た時、既に陽は傾きかけていた。
秋の冷たい風が容赦なく吹き抜ける。

「ボス、お疲れ様でした。無事、良い提携先が決まりましたね」

商談が上手くまとまったこともあって、霧生の声も弾んでいる。

「ああ。メーラグロッソの新しいビジネスパートナーとして、期待できそうだよ」

答えたボクも自然と声が弾む。今後の足場を広げることは、組織全体にとって重要な課題。
だから、今回の収穫は非常に嬉しいものだった。
時間はかかったが、根気強く商談を重ねた甲斐があった。

(この商談がまとまったのも……高山さんのおかげだな……)

昔、まだやんちゃしていた頃によく世話になった人物だ。
墨田、葛飾界隈をシマに持つ組の幹部で、今回の商談では彼が先方との良きパイプ役になってくれた。

(パオロに新しい人事を組むよう言っておかないとな……あと、お祝いに先方もお呼びしてパーティーを開こうか……)

「詳しい話は分からないが、儲かるんなら……まあ、良かったんじゃないか」

霧生に続くようにやって来たJJ。
護衛としてスーツに身を包む彼は油断なく周囲に目を走らせた。

「ボス、迎えの車も来ましたし、どうぞ中へ……」
「いや、霧生。今日はいいよ。今後、この辺りに来る機会も増えるんだ。ボクは少しこの周辺を見てから戻ることにするよ」
「ですが、ボス……この辺りはまだ他の縄張りです。不用意に歩き回ってボスにもしものことがあったら……」
「もちろん、不用意には歩き回らないさ」

ボクは呆れた表情をしているJJの肩を自分の方へ引き寄せた。

「JJ、この後の護衛はキミに頼もう。それなら、霧生も他の皆も安心だろうからね」
「…………おい、瑠夏……アンタ、いきなり何を……」
「霧生、JJの力はキミの折り紙付きだ。そうだろう?
それに、キミたちがいつもシマに目を光らせてくれているように、ボクも自分の足場となる場所をこの目で見ておきたいんだ……」

最後の一押し、ボクはそう言って霧生に微笑みかけた。

「……分かりました」
「……はあ……やれやれ」

JJは小さくため息をついた。
横を歩くJJは、相変わらずの仏頂面だ。

「JJ、もっとボクの近くにおいで? キミはボクの護衛だろ?」
「おい……調子に乗るな。仕事中だ」

(死神という名の野良犬だったキミが、今はその牙を家族のために振るっている……)

キングシーザーに来てから、JJは人間らしい様々な表情を見せてくれるようになった。
それに、ボクだけにしか見せない必死で可愛らしい表情も。だけど……

(JJ……キミはずっと気を張り詰めてる。
仕事中だけじゃなくていつもそうだ……昨日の2人の外食にも結局手をつけなかったし、キミは、いつになったら……)

「瑠夏、どうかしたのか?」
「……いや、何でもないよ、JJ」

怪訝な顔をしたJJに、ボクは笑顔を返した。

「……何か妙なことを考えていないか?」
「まさか。キミとこうして二人きりの時間を過ごせて嬉しいだけだよ」
「……アンタ、まさか酔ってるのか……?」
「嫌だなあ、JJ。ボクはまだシラフだよ」

生真面目で可愛らしい彼の前で、ボクはいつものように笑ってみせた。
すっかり陽も沈んだ頃、ボクとJJはビルの地下1階にあるダイニングバーに立ち寄った。
護衛の仕事だと言い張って、JJが先に店内の様子を見に入ると……

「おい、そもそもお前……この界隈じゃ見ない顔だが……何者だ?」

殺気立った若い声が、店内から聞こえてきた。

「俺たちはこの店を任されているんだ……怪しいヤツには即刻立ち去ってもらう」
「……妙な勘違いをするな。客として飲みに来ただけだ」

息巻く男たちにJJが囲まれていた。見たところ、店の用心棒のチンピラのようだ。

「嘘をつくな。落ち着きなく周囲を見回して……お前、誰かに雇われたのか」

こういう場で目をつけられるなんて、JJらしくない。
そう考えている間に、JJの少し苛立った声が聞こえた。

「それよりも、さっさとどいてくれないか……人を待たせているんだ」
「何だと!? お前――」
「やあ、JJ!」

様子見は得策ではない。
そう判断したボクは踏み出して、声をかけた。

「瑠夏……待っていろと言っただ――むぐっ」
「悪いね、待ちくたびれちゃってさ」

ボクは、余計な火種を蒔かないうちにJJを押さえつけ、男たちに向き直った。

「ボクの連れが失礼したね。無愛想だけど、悪気はないんだ。で、中には入れる?」
「悪いが、この店へは、誰かの紹介で?」
「ああ、高山さんの薦めでね」

予想通り、名前を聞くなり男たちは顔を強張らせた。

「アンタ、彼の知り合いか?」
「ああ、先週から会合で顔も合わせていてね。味の好みも合うし、一度来てみたくて」
「そうか……入ってくれ。高山さんとは親しいのか」

彼らはあまり本人と顔を合わせられる立場ではないのだろう。
面白いくらいに青ざめた男たちに、ボクは笑顔で答えた。

「まあ、そこそこね……最近ボクも、少し世話になって。あの人、面倒見良いから」
「……違いねえ」

男たちの目から警戒の色が少し和らぐ。
その変化を見逃す手はない、ボクは口を開いた。

「これも何かの縁だ。良かったら皆で飲まないか? ボクがご馳走するよ、もちろんここにいる全員にね!」

その途端、どよめきと歓声が同時に聞こえてきた。

「さあ、乾杯だ! 皆、グラスを持ってくれ。遠慮はいらないよ!」
「おい、これは何の祝賀会だ」
「高山さん!」
「お、お疲れ様です!」

周囲が盛り上がる中、一人の男が店に入ってきた。高山さんだ。
彼は、宴会状態の店内に明らかに戸惑っているが……

「……アンタがこいつらのリーダーか」

JJはあからさまに警戒の目を向けた。だけど、彼は敵意を向けるべき相手ではない。
少しだけ、頭が痛い……

「やあ、高山さん。例の件では世話になったね」
「ああ、瑠夏。ところでこの仏頂面はお前の連れか? 確かにお前の可愛がりそうなタイプだが……」

高山さんがJJを凝視する。
まるで好奇心で、軽くからかうような声色だった。

「綺麗な顔だな……それに、いい身体してるじゃねえか……?」

それは、半分からかうような、半分本気のような声だった。
やっぱり頭が痛い。こちらの気持ちを知ってか知らずか、彼はふざけるように、その右手首を掴んだ。

「………………」

予想外のことに、どう対処していいか分からないのか、JJは顔をしかめたまま動かない。

(はあ……こういう生真面目すぎる所が、たまに不安になるんだよね……)

「なあ、お前……この後、俺と――」
「はあ……高山さん、冗談はほどほどにしてくれないか」
「ッ……瑠夏?」

ボクは、JJを男から引き剥がして、自分のもとへ引き寄せた。

「悪いけど、彼の持ち帰りはちょっと承諾できないな。大事な、家族だからね?」

ボクはにこやかにそう言った。もちろん、やんわりと目で牽制をかけることも、忘れない。

「ははっ、そんな目で睨むなって、瑠夏! 色男が台無しだぞ? お前とはこれからも仲良くしていきたいんだからよ」
「ああ、もちろんボクも同じ気持ちだよ」

ボクと高山さんは、挨拶代わりに笑顔で握手を交わした。
その後、ボクはJJと店を出た。迎えを待つ間、吹き抜ける冷たい風は酒で火照った身体を冷ましてくれた。
だけど……この熱が冷め切る前に、ボクには一つやらなきゃいけないことがある。

「JJ、今日のキミは警戒心の塊みたいだけど……大丈夫かい? こんな時くらい、少しは肩の力を抜きなよ?」

JJの肩が微かに揺れ動いた。

「だが今、アンタを守れるのは俺だけだ。全ての人間に警戒するのは当然だ」
「ボクが聞きたいのは、そんな言葉じゃないよ、JJ」

ボクは、先ほど男が触れていた彼の右手首を掴んだ。
JJの戸惑いが掴んだ手首を通して分かったけど、離してあげようとは思わない。いや、思えなかった。

「おい、瑠夏……アンタ、酔ってるのか?」
「ああ、そうだよ。だから、少しキミを問い詰めてみたくなったんだ……
ボクの護衛に気をとられて、らしくないミスをしたんだろうけど……どうして、あの時、一緒にいたボクを頼ろうとしなかったんだ?」

ミスの原因が図星だったのか、JJはバツが悪そうに俯いた。

「護衛が俺の仕事だ。護るべきアンタを頼るわけにはいかない」

強がるその姿は、いつものJJとは違い、とても頼りなく孤独に見えた。

(JJ……キミはいつも、心に孤独を抱いている。こうして、ボクが目の前にいるっていうのに……その目を向けようとは、考えない)

苛立ちを覚えてしまう。決して僕に頼ることをしないJJと、彼を繋ぎとめられないボク自身に。

「JJ、やっぱりキミはまだわかっていない……キミには、少し躾が必要みたいだな」
「躾って……おい、瑠夏……ッ!」

ボクは掴んでいたJJの手首に、そのまま唇を寄せた。そして、そのまま、その柔肌に歯を立てる。
聞き分けの悪い彼を抱き寄せてキスを贈り、JJがどんなに大切か囁いてあげたかった。
でも、今はそれよりも、その身体に直接、自分のものだという証を刻み付けたくてたまらなかった。
 赤くなった咬み痕を眺めて、満足感を覚えるボクは、やっぱり獣の本能でも持っているのだろうか。何だか笑いたくなってしまった。

「JJ、キミは人を殺すのは得意なのに……人と生きるのは、下手なんだな」

 文字通り、牙を向けられてちょっとはボクのことを怖がるかと思ったのに……

「……そんなもの、今まで必要じゃなかったんだ」

 意外にも、噛み付くように言い返してきたJJには恐怖も迷いも感じられなかった。

(……自分の所有物が脅かされた時の対処手段はいろいろあるのに……
どうしてかな、JJに対しては、どれも通用しないように思える。ボクは不安なのか……?
こんなにJJのすぐそばにいるのに、彼の心が見えなくて)

……そっと撫でたいのに、咬み付いて食い破りたい。
優しく愛したいはずなのに、気が狂うほどの痛みや快楽を与えて自分だけに縛り付けたい。
相反する獰猛な欲望を胸の奥に沈め、ボクはゆっくり口を開いた。

「……JJ、ボクはキミが今まで積み重ねてきたものを否定するつもりはない。
だけど、これからボクと生きていくキミには……必要なんだ。人を信じて一緒に生きるってことがね」
「……そうか」

 JJなりにボクの言葉を受け止めようとしているのだろう。彼は短く、そう返した。

「瑠夏……アンタに迷惑かけて……心配かけて、すまなかった」
「JJ……キミ、珍しく素直だね。ベッドの上じゃないのに」
「悪かったな。それに、最後のは一言余計だ」

 ふてくされて視線をそらしたJJは、そのまま抱きしめたいくらい可愛かった。

「躾の続きだ……素直なキミには、ちゃんとご褒美をあげないとね」
「なっ……そんなもの、いらな……ッ!」

ボクは、再びJJの手首に唇を寄せ、今度はそこにそっと舌をのばした。

「ッ……んっ…………瑠、夏……」

優しく愛撫するように舐め上げるたびに、恥らうような押し殺した声がJJから漏れる。
それを耳にするだけで、ボクも風に奪われたはずの熱が再び生じるのを感じる。
JJを悦ばせるはずが自分が悦んでしまうなんて……思わず笑ってしまった。

「……うん、キミの味がするな、JJ」
「何がご褒美だ……! 咬みついたり、舐めたり……アンタは獣か何かか?」
「うん、いい例えだね。ボクが獣なら……この程度ではちっとも満たされない。
だから……帰ったら、もっともっとキミをボクに味わせてほしい……いいかい?」
「……アンタの頼みなら、断る理由がない……ただし――」

JJはそっぽを向いてしまったけど……

「ちゃんと仕事が終わった後で……だからな」

冷たい風が吹く中、小さく呟いた彼の頬は真っ赤に染まり、熱を帯びていた。

(……人間の生き方なんて、そう簡単に変えられるものじゃない。
この先、JJはボクやファミリーのために、自分にとって一番酷な道を躊躇うことなく選んでしまうかもしれない。
だけど……それをボスとして、男として……見逃すわけにはいかないんだ)

JJを見つめながらそう思ったボクは、掴んだ彼の手首をなかなか離すことができなかった。


Fin