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Cool-B 2013年9月号 『泥酔エージェントの宴』


ここは東京、品川……東京湾に面し、抜群の夜景を誇る無国籍料理店のVIP向け個室。
そこを予約したのはこの俺……ドラゴンヘッドで2番目に有能な幹部、魚住哲だ。そして今夜はもう一人の幹部でくされ縁の男、王偉を連れてきていた。
今日の会食は、大手酒造メーカー・ユウヒビールの村田会長の接待だ。この店の個室は人気で、予算はかなり高めだ。だが男には勝負すべき時がある……多少の出費はやむなしだ。柔らかいソファに沈みこんで、俺は自分にそう何度もいい聞かせていた。しかしそんな俺でも、そろそろ痺れを切らしてはじめていた。スーツの袖がすり切れるほど、もう何度も腕時計の時間を確かめている。


「ホント遅いなあ……まだかかるのかなあ。電話もつながらないし」
「飛行機の遅れじゃ、どうしようもないだろう……海外出張帰りなんて、予定も狂うさ」


約束の時間は、既に1時間ほど前に過ぎていた。いくつもの人気店を切り盛りし、多忙を極める俺だが、今日は、全国に流通網を持つユウヒビールとの大口契約を取るため、宇賀神さんに脅されて、強引に送りこまれた。


「先に始めてていいって、会長からメールがあったけど……王と二人でこんないいお酒呑んだところで、一銭も増えやしないし」


俺は、ウエルカムシャンパンのボトルとクラッカーをみつめながら、やるせなくため息をつく。


「余計な世話だ」


王は、個室から夜景を眺めていた。
貸しを作るという意味では、遅れた相手をひたすら待つのは有効な手だ。だが、王と二人で高級店の個室に横に並んで、酒を眺めているのはどうにも気恥ずかしいし、さらに言えば気合いの入ったデートのようでムカついた。この店を予約したのは、そもそも俺のほうだということも、たまらなく微妙だし……


「それより……腹も減ってるだろ。お前も、仕事キツくてあんまり、食べてないだろうし」
「なっ……なんで知ってるんだよ」
「お前の顔見てればわかる。さっきからいい匂いすると物欲しそうだろ。俺が金出すから、何か料理を頼もう」
「別に、いいって……ここの料理高いし。俺、帰りにコンビニで焼き鳥弁当買うから」


俺は慌てて否定するが、王はもうメニューを捲っている。
これではまるで……本当にデートじゃないか……しかもちょっと優しい。思わず照れ隠しに腕時計を見ると、もう1時間半が経過していた……腹も減るはずだ。俺は肩の力を抜くことにした。


「ま、いいか……たまにはこういうのも。じゃ、なんかお酒と料理頼もう」
「ああ」
「じゃ、ビールも。飲みっぷりいいんでしょ?」
「俺を酔わせると金がかかるぞ」
「わかってるよ……でも、ユウヒビールの会長は飲みっぷりのいい男が好きだっていうし、今日はそのためだけに王を連れてきたんだからな!」
「そのためだけ……? むしろ俺は、お前のボディーガードかと」


王は、いぶかしげな顔をしたが、突っかかってくるようなことはしなかった。


「今日の契約は死んでも取れって、宇賀神さんにたっぷり脅されたんだ。結果を出すまで帰れないと思ってよ」
「しっ……誰か来る」


その時、廊下の方から足音が聞こえた。その音は次第に大きくなり、俺たちの個室の前で止まる……次の瞬間、俺は思わず目を見開いた。


「どうも、お邪魔します。」
「て、お前ら……なんでここにいんだよ?」


個室に入ってきたのは、キングシーザーの幹部、パオロ・ピアノに石松陣だ。


「いや、さっき呼ばれたんだよ。ユウヒビールの会長に、タダ飯だから来いって」


いやいや、涼しい顔でそう言ってくれるが、それはつまり……俺らのオゴリという意味か……パオロが唖然とする俺たちに向けて、にっこりと笑った。


「やあ、偶然だね。こんなところで会うなんて」
「ふざけるな……つまり、アンタらも契約を狙ってるんだ?」


ショックを受けつつも、すぐに俺は闘志を燃やした。


「当然だよ。悪いけどユウヒとの大口契約は、ウチが貰うからね。なんでも会長は、飲みっぷりのいい男が好きって話だし」
「ま、それならこの俺のことだな……なんせ俺は昔、地獄の下戸と異名を取った男だ」


キングシーザー勢の切り返しは、ベッタベタだった……


「悪いけど、オヤジギャグ全然面白くないから。ウチの接待費で飲まないで欲しいし」


俺は悪態をつくが、相手は鈍感なのか強者なのか、まったく動じる気配がない。
そうしている間に……


「おお……この酒、美味いな……!」


気がつくとテーブルの上にあったウェルカムシャンパンが開いている。


「ちょっと? 勝手に飲まないでよ……! 俺らが今までずっと手をつけなかったシャンパンだぞ!?」
「ふん……確かに、いい飲みっぷりだな……それなら、俺も……」


王も、メニューにある酒を注文し始める。


「ちょっと、王も勝手に飲まないでよ! 実費とるからね!」


……しかし、俺の言葉をスルーして、負けじと飲み比べる王と石松。高級酒の瓶がどんどん空になっていく……俺は、横目でその様子を見ながらため息をついた。


「でもさ、どんなに飲みっぷりがよくても、結局は金だよね。悪いけどアンタらじゃ、ウチの掛け率には勝てないよ。どの取引先でも文句は言われたことないし……」


しかし、笑顔を浮かべたままパオロも応戦する。


「うん、知ってる。でも、ユウヒの会長の愛人スキャンダル、写真週刊誌に載る水際で止めたの、ウチのボスなんだよね」
パオロの弁に俺も反発する。


「さすが、瑠夏・ベリーニにはスキャンダルの揉消しなんか朝飯前だよねえ。自分がいろいろと旺盛なんだろうし!」
「英雄色を好むって言うし、そのくらい当然でしょ。それを言うなら、君らの首領なんて世間に姿を見せないし、実はもう枯れてたりしてね、あはっ」
「…………なんかアンタらって殺したい顔してるよね」
「……気が合うね。僕もずっとそう思ってたんだ」


パオロは凍り付くような笑顔で返してくる……俺も視線をそらせない。


「おい、お前らこの店から出てけよ。会長にはうまく言っておいてやる……」
「そっちこそ日本から出ていきな。ママにはうまく言っておいてやる……」


王と石松もガンをとばしあっているようだが、さすが酔っ払い、最早ケンカの論点がズレていて、何だかわからない。
……その時、店員が部屋へ入って来た。


「あの、魚住さんに、ユウヒビールの村田会長からお電話が……」
「ああ、どうも……」


来た! 待ち詫びた会長からの電話だ。俺は受話器握り締め、一瞬で色めきたった。


「はい……あ、会長! どうしたんですか? いや、寂しいじゃないですか」


俺は半自動的に、いつもよりワントーン高い、営業用の声に自動的に変わっていた……だがこれは職業病、いや仕事熱心な日本人として多いに褒められるべきことだ。恥ずかしいことじゃない……俺のあまりの代わり身の速さに、全員がドン引きしていたとしても。
そして、全員が続く会長の言葉に最大限の注意を払い、受話器から零れる声に耳を澄まている……俺たちがひとつになった瞬間だ。だが、受話器越しの会長の大きな声が、場の空気を変えた。


「悪い悪い……フライトが遅れてね。で、例の契約だが、海外で決めたよ。」
「は……? どういうこと、ですか……?」


思わず、こちらの場の空気がこおりつく。


「いやあ、実はまだハワイにいるんだが……オアフ島のバーで出会った男が、実に飲みっぷりのいい好青年ででね! これが偶然にも現地のホテル王で、すっかり意気投合して今日は彼の家に泊まるんだ」
「はあ、ということは……」
「うん、今日はもう君ら、解散していいよ! 俺はこれから、彼とじっくり飲むから」
「……ああ、そッスか……それは……良かったッスね……」
「いやあ、魚住くん、皆ともまた今度、ゆっくり飲みに行こうや! じゃ、また」


電話口の向こうから、ムーディーなジャズが聞こえている……今夜はお楽しみなのだろうか……ぶっちゃけ、今となってはどうでもいい話だ。というか、バーに居たならそもそもフライトの遅れなんて関係ないじゃん……魚住はそう思ったが、もうどんなツッコミもバカバカしく感じられた。


「あのタヌキオヤジめ……」


俺は思わずため息をつく……吐息に染み渡った高級酒の香りが、疎ましいことこの上ない。


「予約はこっちがやったんだから、今日の接待費……そっち持ちで」


俺はキングシーザーの二人に、冷たい視線を送った。特に死ぬほど飲食した石松に。


「バカ野郎、そっちが予約した店だろうが! それで会計もたねえのは筋が通らねえだろ」
「この野郎、さんざん飲みやがって、タダで済ませる気か! こっちは水道水で10万取ってんだぞ!」
「ちょっと、王!」


酔っ払いの王が、言わなくてもいいことを言う……本当に……泣きたい。龍宮の無法地帯では向うところ敵なしだが、日本のタヌキオヤジごときに簡単に煙に巻かれるとは……いつもの俺なら、ここで泣いて恩を売るだの、キレてゴネるだの、いくらでも手を打つのだが……今日は少しナイーブになった所為か、非情になりきれない……全く、厄日だ。こんな日は、尻尾を巻いておとなしく帰るしかない。


「じゃあ石松、僕らは帰ろう! 今日はごちそうさま!」
「よーしパオロ、帰って飲み直すぞ!」
「なに言ってるの、もう止めときなって」
キングシーザーの二人が、満腹で帰っていく……それをただただ見送る俺。
酔っ払ってふらつきながら、王も立ち上がった。


「うぉい魚住! 帰るぞ……出口はこっちか……!!」
「……いや……そっちはトイレだよ王……」


俺は頭を抱えてしまった。ドラゴンヘッドの幹部にあるまじき姿だ……誰が許せないって、こんな奴にちょっとでも、ときめいてしまった自分が許せない。
それにしても、何がオアフ島、何が好青年で小麦色のホテル王だ……全部持っていきやがって。俺は宇賀神さんに、今日の成果をどう報告すればいいのか。まさか、手ぶらで帰るわけにもいかないし……


「そうだ……会長に貸しもできたし、今度、俺にもホテル王を紹介してもらおっと! えっと、俺も是非お会いしてみたいなっ、と……」


俺はすかさず会長にメールを入れる……転んでもタダでは起きない……損は100倍にして取り戻す……俺はずっとそうやって、逞しく生きてきたじゃん?


「いける……これはいけそうな気がするぞ!」
「お前、全くめげないな……」
「ふふん、まあね!」


俺の闘志が再び熱く沸き立ってきた。
……俺たち幹部たちに休む暇はない。
家族の繁栄と私利私欲のため、今夜もネオン輝く繁華街を奔走するのだ。


Fin