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Cool-B 2013年7月号 『暁闇のヴェノム』


「撃て! 撃ち殺せ……!!」

数時間後には夜明けを迎えるだろう幽暗な東京湾。
そこに面した倉庫街の一角にて、騒々しい銃声が響き渡る。

「狙いはスーツの長髪だっ…………劉漸を仕留めろ!!」

品のない怒号と共に撃ち込まれる銃弾の雨。

(やれやれ……挨拶もなしに発砲とは、礼儀のなっていない虫けら共め)

「首領、こちらへ!」
「ここは我々にお任せを!!」

嘆息を吐く間もなく、護衛たちが敏捷な動きを見せ、私の壁となる。

「下がっていろ、劉! 向こうの狙いはアンタだ」

注がれる銃撃の中、護衛の一人が私を振り返った。
その手に握られた拳銃は……ベレッタM92Fだ。

「ふん……私のことは首領と呼べ、デスサイズ。いかなる時も主への礼節を怠るな」

私は愛銃・デザートイーグルを取り出し、その男に忠言してやった。

「…………ああ、悪かったな、首領!」

……デスサイズは忌々しげに答え、手のベレッタを構えなおす。
奴から滲み出る殺気の矛先は、奇襲を仕掛けてきた虫けら共か……はたまたこの私か。
いずれにしても、奴の獣じみた瞳と戦場の喧騒は、えも言われぬ高揚を私にもたらした。

デスサイズはゲリラ育ちの殺し屋、そして、ドラゴンヘッドでも新入りの護衛だ。
日本人には珍しく、物怖じしない言動に優れた戦闘能力……
その力は我がドラゴンヘッドの幹部である宇賀神や王も認める程だ。
私の周囲には敵が多い。外部の敵対勢力、マフィア……
それに、内部の妬み、裏切り、私を殺したがっている者などこの世に有象無象に存在するだろう。
私はこの男を、護衛の補充として自らの側に置くことを決めた。

そして今回は、他の護衛と共に奴を連れてこの東京湾に降り立った。
中東の新ルートから取り寄せた積み荷の到着に立ち会うためだ。
積み荷の中身はナチュラルドラッグ――
国内に蔓延している安物のシャブよりも、よほど上質で売り値にも期待ができる。
警察とキングシーザーによる龍宮一帯の封じ込みが強化される中、
ドラッグによる利益はドラゴンヘッド、そして龍宮に住まう移民達の貴重な収入源の一つとなっている。

……そうして出迎えてやった船は到着早々、銃を携えて、
我々に実に無礼な奇襲を仕掛けてきたというわけだ。

「アンタ相手に奇襲をかけるとはな……勇敢なのか、無謀なのか」

搬送用コンテナの陰に身を隠した後、横に控えたデスサイズの呟きが聞こえてきた。

「クク……珍しい事ではないさ。昔はしょっちゅうだった……ドラゴンヘッドが生まれたばかりの頃はな」

日本に渡って来た当時は、取引とは名ばかりの理不尽な報酬に粗悪な商品……
煮え湯を飲まされた事は何度もあった。今となっては懐かしい記憶の一つだ。

「今もたまにあるが……奇襲の規模も様変わりした。昔は金で雇われたチンピラ共が大半だったが……」

船から攻撃してくる乗組員達、その腕に彫られた刺青には見覚えがある。

「奴等は香港マフィアの手の者だろう。遥々船に乗り込み、私の命を狙いに来るとは……クク……ご苦労なことだ」
「ずいぶん楽しそうだな……自分の敵が増えて、そんなに嬉しいのか?」
「無論だ。争いはこの世において、最も儲かるビジネス……それに、退屈しないで済む」

戦いには武器が要る。
兵力も要る。
これほど莫大な金が動く商売は他にない。

「私の名が、こうして本国まで知られるようになったと、身をもって実感もできる」

奇襲を仕掛けてくるという事は、即ち向こうが私を脅威と感じている事に他ならない。
新天地・日本における己の成長を、我が身を以て感じる……悪い気分はしなかった。

「船上暮らしで身体が鈍っていないだろうな、デスサイズ」
「当然だ。首領、アンタはここで大人しく――」
「ふん、冗談はよせ。獲物は狩るために存在するもの…………黙って見物など、退屈なだけだ」

破壊と殺戮ほど、己の命と生の喜びを実感できる聖域はない。
私は天を目掛けて、愛銃の引き金を引き放った。

「お前達」

轟いた銃声の直後、私は我がドラゴンヘッドの護衛達へ命令を下す。

「船の虫けら共を一人残らず殲滅しろ」
「「「はい!」」」
「遅れをとった者はこの私が撃ち殺す。奴等の血で、粛清に彩りを添えてやれ!」
「……ああ、了解だ。首領」

デスサイズの従順な返事に満足し、私は殺戮という名の狩りを楽しむ事に没頭した。

「首領! 乗組員の殲滅及び、積み荷の掌握を完了しました」
「ご苦労。手はず通り下部組織の者共に回収させろ。死体の処理もな」

殲滅にさほど時間はかからなかった。
護衛たちはドラゴンヘッドの中でも選りすぐりの戦士達、当然の結果だろう。

「やれやれ、ヴェルサーチのスーツが汚れてしまったな」
「汚れだと? あれだけ撃ち殺しておいて、一滴の返り血も見当たらないが」

側に控えたデスサイズの言葉に、私は思わず失笑が漏れた。

「ふ……それは素人の感想だ、デスサイズ。
巻き起こった粉塵は、スーツの寿命を縮める。明日にでも、クリーニングに出さねばな」
「汚れが嫌なら、そもそもそんな恰好でうろつかなければいいんじゃないか」
「ぬかせ、スーツは男の戦闘服だ。貴様はそんな事も知らないのか?」
「生憎、戦場のドレスコードには関心がないんだ。アンタと違ってな」
「クク……護衛の分際で言ってくれる」

だが、歯に衣着せぬ物言いは嫌いではない。
思わず笑いが零れたその時……

「…………デスサイズ、その手に持っているものは何だ?」

奴が差し出してきたのは、煙草――ドイツ産のダビドフ・マグナムだった。

「見ての通りだ……アンタ、この銘柄しか吸わないんだろ?」
「珍しく気が利いているな、宇賀神辺りの入れ知恵か?」
「…………だとしたらどうする」

一瞬答えに窮した辺り、図星だったのだろう。
デスサイズはふて腐れた様子で噛み付いてきた。

「ふん……形だけの機嫌取りか? やはり貴様は礼儀のなっていない野良犬だな」
「何だと?」
「煙草だけ差し出して何になる? 貴様の頭には、火を携える機転すらないのか?」
「…………今、取り出そうとしていた所だ」

そう言って、ライターの火を差し出すデスサイズ。
その顔は“早くこの場から解放されたい”と言わんばかりのしかめ面だ。

(奴の希望に沿ってやっても良いが…………それでは私が面白くない)

久しぶりに悪戯心が芽生えた。

「それでは火が届かん。もっと側に寄れ」
「っ…………」

有無を言わさず、抱き寄せたデスサイズの身体。

「…………何の真似だ、劉」

奴の表情と声は平静を装っているが、衣服越しに伝わる緊張感と身体の強張りは隠し様がない。

(いくら体裁を取り繕った所で、身体は正直…………といった所か)

奴の予想通りの反応に、私は小さな満足を得た。

「首領と呼べ、デスサイズ…………ああ、そんなに私の側は緊張するか?」
「別に…………そんなんじゃない」
「そうか……では、私との逢瀬でも思い出して興奮したか、可愛いヤツめ」
「ッ……用がないんなら、さっさと離れてくれないか、首領……」
「却下だ。貴様の呆けた面をしっかり見ておかなければな」
「……つくづく見上げた性格の持ち主だな、アンタは……」
「クク……それは褒め言葉と受け取っておこう」

抵抗するだけ無駄だと悟ったのか、デスサイズは私の腕の中で大人しくしている。従順で利口な判断だ。

「……デスサイズ、珍しく利口な貴様に、教えておいてやろう」

火のついた煙草、その切っ先の幽かな熱源を眺めながら、私は口を開いた。

「私は、煙草は滅多に吸わない。スーツに匂いが染み付くし、身体にも毒だ」
「……だったら何故――」
「コレは私にとっての“特別”だからだ」

勝利、成功、鼓舞、覚悟、決断…………
ダビドフ・マグナムは私の契機と常に共にあった。
高揚した心身に、深くしみこむ至高の香り。
昔と変わらぬその香りは、野心に満ちた己自身を思い出させ、更に先へ進むようにと駆り立てるのだ。
いつか身体を蝕む毒になると理解していても、こればかりは手放せなかった。
…………そこまで懇切丁寧にこの男に教えてやろうとは思わなかったが。

「ふ……ところでデスサイズ、貴様、煙草は嫌いか?」
「ああ、好きではないな。身体に匂いが付くのは……仕事上、好ましくない」
「そうか。では、今後は好きになれ。貴様は私の護衛なのだからな」
「……はあ…………それが命令ならアンタに従うさ」
「この香りもしっかり覚えておけ。私という存在を五感に刻み付けろ」
「…………それも護衛の役目、か?」
「当然だろう」
「…………まあ、努力はするさ。次にアンタがいつ煙草を吸うのか、分からないが」

香りを確かめるように擦り寄る様は、まるで飼い主に懐く犬のようだ。
その従順な様子に思わず口元が緩む。

「せっかくだ。貴様も一本吸ってみるか?」
「…………いや、申し訳ないが遠慮しておく。今は……仕事中だからな」
「ふん……つまらない男だ」

そう答えつつも、私は自分の声色が楽しげであることを自覚していた。
腕の中のデスサイズにもそれが十分伝わったのだろう。

「……上機嫌だな、首領。久々の荒事がそんなに良かったのか」
「ふふ……血が騒いだのは貴様とて同じだろう」
「……俺には、アンタみたいな趣味はない。一緒にしないでくれ」

やがて、東から差し込んできた朝日が、周囲を遍く光で包み込む。
その眩い輝きは、煙草の先端の火をすっかり覆い隠してしまった。
強い光に、存在そのものを奪われる弱い光……人間の夢や希望もそんなものだ。
己の望みを達するために必要なのは朝日の如く強い光。
貪欲な野心と、他人の金と命を踏み台にしてのし上がる強い意志……
迷える移民達は、その光を導きに集まってくるのだ。

(ドラゴンヘッドの勢いは止まらない……必ず抗争に勝ち抜いてみせる)

新天地の夢は、まだ続いている。
それはある意味、己自身をチップにした賭けとも似ていた。
そして、我々ドラゴンヘッドはこの先、更に大きな賭けに出ようとしている。

「……デスサイズ、ついでに貴様に一つ命じておこう」
「……一体、何だ」
「貴様が護るべき主……私の事を忘れるな」
「……………………」

それは一つの気まぐれから発した命令だった。
だが、虚を突かれたように目を丸くしたデスサイズを見れば、悪い心地はしない。
デスサイズ……この男は基本的に嘘を不得手とする男だ。
戦闘中、銃を構える奴の瞳にも偽りは存在しない。
隠し切れない貪欲な獣の瞳、その研ぎ澄まされた殺意は私と似ている……
それは、平凡な安定よりも、躍動ある戦いを好む者の姿だった。

(それに私は知っている。この男の殺意が……時折、直に私に向けられていることを)

この男は、私を殺したがっている…………
猛毒の危険を理解しながら側に置いておく辺り、どうやらこの男は私のダビドフ・マグナムと良い勝負なのかもしれない。
奴の飢えた瞳が、私の渇いた心に新鮮な興味と期待、高揚感を抱かせるのは紛れもない事実だった。

(デスサイズ……この男の存在が、私にとって妙薬となるか猛毒となるか)

それは賭けとも似たゲーム……敗北の代償は己の命だ。だが、賭ける物が大きいほど、ゲームは盛り上がる。
甘美な高揚を得られる。そして、それが癖となるのだ。

「いいか、貴様の心身余すところ無く、私の存在を刻み付けておけ」
「……ふん、生憎忘れたくても無理だろうさ。アンタほど強烈な男、他にはいないからな」
「クク…………そうか」

強気な返答に満足した私は、ふと手にした煙草へ目を移した。
強い朝日の中、一筋の煙が宙を揺蕩い、音もなく天へと昇っていく……
……掴み所のない様は、ちょうど腕の中の男と似ているような気がしないでもなかった。

(静かだな。だが、たまにはこういうのも……悪くない)

嵐の前の、寸刻の安息とでも言おうか……
……緩やかな静寂の中、私は心行くまで勝利の余韻に酔いしれた。


Fin